MUROKEN'Sボヘミアン・ワンダーランド その4 ハロー、心はいつもボヘミアンの仲間たち!われらがブラザー、あのジョン・レノンがいなくなってもう25年。12月のその命日の頃に本を出して、ここのところしばらくプロモーションでイェー、イェー、ヒーヒーやっていました。 北中正和さん、ロバート・ハリスさん、大貫憲章さんという昔からの音楽グルメの良き友たちがラジオや雑誌で相手をしていっぱいヘルプ!してくれました。許可をいただいて以下に載せる某若者系文化誌でMUROKEN’S ROCK’N ROLL FLASHBACKなる連続対談の相手をしてくれている丸木 武くんをはじめ、関係者みなさんに深い感謝を! ストリーミングでラジオ・トーク聴きながら、今回のボヘミアン・トーク特別編『ヤー、ヤー、ヤー、その時、歴史が動いた!』プリーズ・プリーズ・プリーズです。ビートルズはいなくなっても、ヘルプ・フロム・フレンズ、僕のまわりにはたくさんのビートルズがいたよ!!ムロケンより(尚、以下文章は某誌のご好意より転載いたします。) 「あの頃、ビートルズがアメリカで大ブレイクしたのは、ケネディの暗殺事件、南部の人種差別連続テロ事件で社会の空気全体が暗く沈滞していたこととも関係あるんだな。あの陽気でチャーミングでユーモアのセンスたっぷりの四人組と、イェーイェーイェーと髪振り乱してた僕たちは、みんなそういう悪い時代の悪魔ばらい、悪夢ばらいをしてたんだと思うよ」と語っていたムロケンさん。その彼がジョン・レノンが凶弾に倒れて25年目にあたるこの12月8日、一冊の本を出した。 『ビートルズ1964ー65マジカル・ヒストリー・ツアー』ラリー・ケイン著、室矢憲治訳(小学館文庫)がその本だ。すぐに反響はビンビン。同じビートルズ世代のラジオ・パーソナリティ、ロバート・ハリス氏ホストのJ-WAVE『ビート・オン・ザ・ロード』や大貫憲章氏のFM-YOKOHAMA人気番組『ロッキン・グルーヴ』などで大きく取り上げられ、ゲスト・トーカー、“ミスター・ムロケンロール”のハイパー元気な声が流れてきたものだ。 ならば、ホワイ・ノット・ミー? 僕も寒空の下、熱いメッセージでプリーズ・プリーズ・ミーと、氏のいるパーティ会場へ駆けつけることにしたのだ。KAMAKURA CAFE(KC) お疲れさまでした。公約どおりに素晴らしい本出されましたね。でも、まさか文庫で出るとは思ってませんでしたよ。鎌倉たらば書房の文庫売り上げトップらしいですよ(笑)。MUROKEN(MK) 少しでもたくさんの人たちに読んでもらいたいからね。だって、ビートルズの出現を世界に告げた、この64年、65年夏のアメリカ・ツアーって何もかもが史上空前、記録破り、掟破り、ヴァージン破りのブラディ・ロックンロールが世界の歴史を変えたっていう、後にも先にもない出来事だったんだもの。音楽、ファッション、思想、ライフスタイル、すべてここから変わっていったんだぜ。そんなときめきの原点、知らない人にも忘れかけてる人にも、きちんと伝えておきたいなって思ってたんだ。KC そうだ、そのツアーのハイライト、ニューヨーク、シェイ・スタジアムのコンサート、ムロケンさん体験しているんですものね。5万5千人でしたっけ。音楽の公演としては当時の最大動員記録を作った記念碑的コンサートですよね?MK ずるいよ、ムロケンは、って憲章にムッとされたよ。ピーター・バラカンがヤードバーズ見たって聞いた時もムッとしたけど、考えてみりゃあいつはイギリス人だから仕方ないと思うけど……って(笑)。だって親父の仕事の関係で僕はたまたまあっちにいて、なんでも吸収したいって多感な少年時代をおくっていたら、家からすぐ近くの球場へあの四人がやって来るっていうから、切符ゲットして行ったの。そしたらワーワー、キャーキャー、すごいことになっていて、カメラのフラッシュライト、ストロボ状態だし、あのウルトラ・ハイ・デシベルな歓声でみんなもう始まる前からトリップ状態。ビートルズの四人もヘリコプターでやって来て、あの光景を空から見て、めちゃくちゃ興奮していたんだって。本で読むとわかるけれど、ほとんどの人間にとってビートルズがコンサートの初体験だったんだよね。つまりさ、同世代の人間とあれだけの規模で出会ったのは、みんなあの時が初めてなんだ。KC 後書きで「あれはそれまで顔も声も持たなかった当時12歳から16歳のいわゆるベビーブーマー世代が、初めて自分たちの声を持ち、一緒に喜びを表現できた“世代”誕生のセレモニーだったのではないだろうか」って書かれてましたよね。本の冒頭で著者のラリー・ケインが出会った未来のフラワー・ガールみたいな娘も印象的でしたよ。いままで気づかなかったけど、みんなメチャ若かったんですね。MK そうだよ。セックスもドラッグもなーんにも知らないピュアなお嬢ちゃん、お坊ちゃんたちが、あの日突然、若くて、自由で、自分の感じることを思うままに表現できて、しかも同じ思いを持つ仲間たちと一緒にいられるのは、なんて素晴らしいんだ〜って気づいちゃったわけなのさ。集団的通過儀礼というか意識の処女膜破りというか、すさまじい出来事だったんだよ。後はラヴ&ピース! フリーラヴ! 止めてくれるなおっかさん! ウッドストックへ向かってゴー!さ(笑)。でも、あのアメリカン・ツアーがなかったら後のヒッピー世代も反戦世代も、なかったかもしれない。それほど、決定的な影響をあの四人は、あの時代のアメリカの若者たち、ひいては世界の若者たちに与えちゃったんだよね。KC すごいっ! でもこう言うと失礼かもしれないけど、前にシェイ体験の話をうかがった時、いちばん感動したのは、切符がなくて入り口のそばの舗道でしゃがみこみ、パンチラもかまわず泣きじゃくってた赤いドレスの女の子の姿、とか言ってませんでした(笑)?MK ム、ム、ム……だからあれは、他人からどう見られているかなんて、そんな自意識の呪縛から自分を解放して、いま、その時自分の感じるままの姿でいる彼女の姿に、僕はああ、これがまさにロックンロールなんだって感じたって……感動をおぼえたって、言ったんじゃんよ。いいじゃないかよ、13歳のガキが初パンチラに衝撃を受けて、そこから意識の新しい扉が開いたって(笑)。でもマジな話、歳をとるとひとつの体験が昔より鮮明に見えてくるってことがあるんだなって、この本を作りながら思ったよ。多分、この二度に渡る歴史的なツアーの全行程に同行した唯ひとりのアメリカ人ジャーナリスト、って他の誰もしていないような体験しながら、40年間それを封印してきたラリー・ケインって人もこの本を書きながら同じことを感じていたに違いないよ。KC 当時はまだ21歳の駆け出しのラジオ局の記者で、何もわからぬまま気がついたら、熱狂と混沌、世紀のロックンロール・ツアーの真っ只中だったっていうのが、また面白いですよね。でもツアーの行く先々で彼が録音した四人の言葉が、全米50のラジオ局を通じて、ファンの若者たちの耳に届いていたってわけでしょ? 彼も歴史を作っていたひとりだったんですね。ビートルズの連中はいくつだったんですか?MK ジョンとリンゴが23歳、ポールが21で、ジョージが20歳。あの時、みんな若かったんだよ(笑)〜ヤング&ビューティフル、そしてもっと自由への意識革命を〜KC でも、もうジョンは当時から戦争や人種差別へのプロテスト発言をはっきりしてるし、みんな普段は思い切りヤンチャだけど、自分の意見をしっかり持っていたじゃないですか。それで彼らに教えられて白人の若者たちが、黒人たちのモータウン・サウンドに耳を傾けるようになる、社会の大人たちの古い価値観に対して自分たちの意見を持つようになっていく。考えてみるとまさにビートルズは音楽だけじゃない、いろんな面で革命を起こしちゃったってわけですね。MK うん、よろしい、この本をそこまで深く読みこんでいるとは、素晴らしい(笑)!KC 一緒に当時のアメリカを旅しているみたいなタイム・トリップ感覚と、いろんなことが感じられる万華鏡みたいな本でしたよ。でも、どうしてこんなことが起きちゃったんでしょうね?やはり彼らがイギリス人だったからですかね、ファンばかりじゃなくてアメリカのマスコミもビートルズ一色で夢中になって追っかけていたみたいじゃないですか?MK ビートルズがアメリカを征服に行ったら、アメリカ人たちは銀のお盆に載せてあっさりアメリカを差し出してきたって、当時イギリスでは言われていたんだよ。いろんな偶然が重なっていたんだね。ケネディの暗殺やキューバ・ミサイル事件、ベトナム戦争の勃発なんかで世間が何か明るいニュースに飢えていたこととか、TV界の帝王、エド・サリヴァンがロンドンの空港で偶然、最初のビートルマニア騒ぎを目撃して、彼らにすごい興味を持っていたこととか、頭脳明晰なマネージャー、ブライアン・エプスタインが『ニューヨーカー』とか『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』とか、それまで芸能界には無頓着だった知識人階層向けのメディアにまで上手なパブリシティ作戦を打っていたとかね。マンハッタンの街角には“ビートルズがやって来る!”とステッカーが貼られ、ラジオはマレー・ザ・KなんてDJたちが24時間、ビートルズ・オンリーで放送を流す。そこでやって来たら、最初の記者会見で「ベートーベンですか、大好きですよ、詩が最高ですよねー」とか、めちゃウィットとユーモアのきいた返答で、マスコミ取材陣に大受け。「ビートルズは記事になる!追いかけろー!」みたいなことになって大フィーバーになってったわけさ。あっ、喋りすぎた。後は本ゲットして、みんな読んでくれよー(笑)。KC 出たー、トーク・マシーン、ムロケン炸裂ですね。この間のJ-WAVEでもロバート・ハリスさん、たじたじでしたよね(笑)。ここだけの話ですけど、ムロケンさん原作に随分書き足したんでしょう?MK ほら来た。いや著者本人も認めているとおり、もともとが社会・政治が専門の記者だから、音楽的な知識でちょい物足りないところは少しばかり、美装工事させてもらったけどね。エルヴィス・プレスリーとの対面のところは、みんな言うことがまちまち。ジョージはセッションには加わらず、エルヴィスの取り巻きたちとハイになっていたとか。ポールはプリシラのお尻追いかけていたとか(笑)。随分いろんな文献ひっくりかえしたよ。KC なにか面白い発見がありましたか?MK つかの間の休日でローレル・キャニオンの丘の別荘を借りて、プールサイドでみんながLSなんとかっていう、まだ合法だった最新流行のドラッグをきめて、楽しんでいた時、遊びに来ていたピーター・フォンダが「ビートルズの連中は若くてもこれだけ素晴らしい音楽を創造したんだ!僕も絶対に何かを作るぞ!」って啓示を受け、それがあの映画『イージー・ライダー』を生むきっかけになったんだって話はどうかな? これは本には書き込みきれなかったエピソードだけれど、いい話じゃない?KC うわっ、鳥肌たっちゃいましたよ!MK あと、これはマイ・ロッケンロール・ブラザー、大貫憲章との番組対談の時に意見一致して盛り上がったんだけど、彼ら世界の檜舞台に登場して来た時は、パリっとしたスーツ姿で出て来たけれど、あのスーツの下には実はハンブルグの歓楽地のクラブやリヴァプールのキャヴァーン・クラブで同じ労働者階級出身の仲間たちの前でごりごりに腕を磨いてきた、革ジャンという鎧を着ていたんだって思うのね。あの洗練されたメロディやハーモニーとワイルドでパワフルな演奏、それを作り出してきた人には見せない努力とか探究心は絶対に彼らのブルーカラーというルーツぬきにはありえなかったと思うんだ。KC ただ、ベストコレクション『ザ・ビートルズ1』を聴いているだけではビートルズをわかったことにはならない、ということですね。MK まさに、まさに、そのとおり。俺も相当テンション高かったけれど、あの晩は憲章もすごかったよ。「i-pod に何千曲もロック・ソングをダウンロードして、これがロックだなんて思っている今の若い奴ら、そんなのでロックがわかってるなんて思ったら大間違いだ!」なんて(笑)。俺、あいつと奇妙に波長あっちゃうんだよね。それで「そうだ、おまえらロックがコマーシャリズムに囲いこまれて、気がつかないうちに消費社会のただの駒にされて、いいように弄ばれていることになんか気づいたこともないだろ!」KC そう言ったんですか?MK いや、言ってもどうせわからないだろうし、同行してくれたレコード会社のダチに晩飯おごってもらっていたから、言えなかったんだ。なさけねえっす……(笑)。〜若者ならば、時代にもっと美しい痙攣をぶつけろ〜 KC ラジオと言えば、ビートルズの行く先々の都市でラジオ局どおしの戦い、DJ戦争が起こる話も面白かったですね。それだけこの時代はラジオの黄金時代だったんですね。MK いまみたいにTVが何十、何百チャンネル、インターネットにPCゲームに映画にライブ・イベントにって若者向けエンタティメントがあふれてる時代じゃ、まったくなかったからね。キヨシローの歌じゃないけれど家のラジオじゃなくて、自分だけのトランジスタ・ラジオにしがみついて、お気に入りの曲がトップ20チャートを上がっていくのに一喜一憂してたんだよ。それでラジオ局に電話リクエストを入れて、ビートルズ・ナンバーが1位から5位までを独占するのに大喜びしたりね。無邪気といえば実に無邪気だけど、みんなが参加して新しい流行を作っているんだ、みたいな喜びがあったんだな。ラジオ最後の黄金期だよね。KC だからこそ、ラジオを伝わって流れてくる生のビートルズの発言がどんどん大きな影響を持っていくし、四人は時代のオピニオン・リーダー的な存在になっていったんですね。MK ローリング・ストーンズだってビートルズの応援があったからこそ、アメリカでブレイクすることができたわけだもの。でも、彼らはビートルズのクリーンなイメージに対して、“おたくのお嬢さんがもっともデートの相手にしてほしくない”タイプ(笑)。PTAの敵ナンバーワンみたいな不良タイプを売りにして出て来たわけじゃん。“夜にぶちまけようぜ! 一緒にいいことしようぜ”みたいな。セックス、ドラッグ、あり、あり、ありーみたいな。KC 当然、体制側の道徳、秩序お目付役たちからは狙われますよね(笑)。MK そうさ。知ってる? 70年代にニューヨークに移り住んだジョンが、いくら移民永住許可を申請しても許されず、逆に危険人物として国外追放になりそうになった、そもそもの根拠になってたイギリスでの麻薬所持事件を指揮したオマワリの話?KC いいえ、まったく。ミック・ジャガーやキース・リチャーズの逮捕事件とも関係あるんですか?MK ビンゴー! ドノヴァンに始まって、ミック、キース、ジョンと若者に影響力のあるロックスターたちをかたっぱしから、しょっぴいていたのは全部、ノーマン・ピルチャーという出世と自分の名声欲に駆られた刑事のしわざだったんだ。そして、彼はいつも空振りのないように、あらかじめ自分のポケットにマリファナやハシシ・パックを用意して出かけていたんだ。KC それって、でっちあげ逮捕じゃないですか!MK そうだよ。後で部下の証言でそれがばれて、彼は公職追放、一連の事件での判決はすべて無効になったのさ。こうして晴れて、ジョンはアメリカでの永住権が認められることになったのさ。KC いやあ、知らなかった、すごい話ですね。ジョンといえば、今アメリカの学生たちの人気ネット・サイトで「セレブたちの衝撃映像サイト」みたいなのがあって、例のスーパーボウルでのジャネット・ジャクソン、おっぱいポロリ映像とかに並んで人気なのが、65年にイギリス・ツアーした時のボブ・ディランがジョンとリムジンの後部座席でぎんぎらぎん状態で会話してるシーン。もう二人の会話、通じてないのに通じてるみたいな(笑)MK あの客席からの“裏切り者、ユダ!”の声に“おまえなんか信じるかよ”とエレクトリック・ランボーに変身したディランが返し、“プレイ、ファッキング・ラウド!”とザ・バンドの連中に声をかけて、「ライク・ア・ローリング・ストーン」になだれこむ、あのヒストリック・ツアーの時の映像だよ、それって! マーティン・スコセシが監督のディラン半生のドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』が公開されだしたけど、あれはこの本とまったく同じ時代のディラン。もうひとりの時代を変えた男の素晴らしい伝記映画さ。まだ見てないなら、あれは絶対チェックしたほうがいいよ。時代の痙攣をディランっていうひとりの稀有なアーティストが、鮮やかに体現した瞬間さ。いいとか悪いとか、好きとか嫌いとかの次元じゃない、エブリバディ・マスト……の瞬間を体験しなきゃだめさ。 ほんとにあの1965〜66年ツアーのディランには、ぞくっとするような美しさがあるね。ハード・ゲイ、レイザーラモン、ホーッなんてもんじゃないさ(笑)。 若い時ってさ、人生の中でいっぱい痙攣する時じゃないか。その振幅の幅が大きいほど、後になって得るもの、発見するものが大きいんだ。でも今の若い連中は親や兄弟、ガールフレンド、とおりがかりの子供を殴っちゃったり、殺しちゃったり、そんな痙攣ばかりじゃないか。ふざけてんじゃないよ。ちゃんとギターでもしっかり握って、もっと美しく痙攣してみろっていうのよ!! ☆ 「えっ、なあに今夜、あたしと美しく痙攣したいの? しよう!しよう!」ーーボルテージの上がり出した声をききつけたおっかけ風の女の子にひきづられて、ムロケンさんは酒場のカウンター・カルチャー・トークをやめ、始まったパーティ・ライブ、チナ・キャッツ・トリップス・バンドの轟音の彼方に去っていってしまった……。 ええい、レット・イット・ビートルズ!ときめきシンドローム、ステイ4エバーなのだ! みなさん、素敵なホリデー・シーズンと輝く新年を!!2005 December / MUROKEN
TOP PAGE |