MUROKEN’S ボヘミアン・ワンダーランド その3 ハワイの旅の楽しみは色々いっぱいあるけど、ひょっこり訪ねた田舎町で、ひょっこり出会った土地の日系移民の老人たちから聞くハワイ昔話、こいつがなかなかイケルのだ。「ホテルやモーテルなんかもちろんなかったからね。昔の若い恋人たちは、デートというと、砂糖きび畑に出かけたもんさ、蚊取線香を持ってね。夏のさかりの頃になると、あっちにポツリ、こっちにポツリ、ホタルのように赤い火が見えるんだ。そうさ、私なんか恋人のいない連中は、それを見物に出かけたものさ。それで女の子のほうが手に線香を持ってクルクルクル。コトが始まると、その回転がどんどん速くなっていくのさ。おう、始まったぞ!って、こっちも興奮して見てると、クルクルクルクル……そして急にピタリと止まる。 ア?ッ、ワーッ。砂糖きび畑の向こうもコッチも溜め息の合唱の瞬間さ。いや、あれはなんともいえない風情があったね。なんというんだっけ? そうそう、夏の風物詩ってやつさ。アッハッハ」 ウーン、なんて素敵な話だろう。ハワイ島北のホノカアの町、バンブー・ギャラリー前のベンチでは50〜60年のプランテーション仕事での歴史を顔に刻みこんだシワくちゃ顔のオジイちゃん、オバアちゃんたちが集って、昔話に花を咲かせている。「あの頃のいちばんの楽しみといえば、そりゃ盆ダンスよ、少しずつ日が違うから、島中アチコチの町を回って楽しめるのよ。“コナの大福寺のダンスでいい男がいたわよ”とか、同級生たちに情報を持ち帰ってはワイワイキャアキャア……」と、白髪オバアちゃん。 盆ダンス? ああ、盆踊りのことか。「今、このオバアちゃんたちが現役バリバリの若さだったら、ほら、この間のボブ・マーリー・フェスティバルなんかに押しかけて、“ほら、あそこにいい男がいるわよ、あら、こっち見てる、キャ?”なんてやってたわよ。 時代が変わっても、流行やスタイルは変わっても、男は女を求め、女は男を求め、ウッフーン! 本質は何ひとつ変わらないの」と陽気な笑い声を上げて、グレースがまぜっかえす。「あーら、私たち、コダック・フラダンサーみたいに年柄年中腰振って男たちの目を引きつけようなんて真似はしなかったわよ」とシンシアの反撃で、ワーワーキャーキャー、さらに話の場は盛り上がる。 グレースはタヒチ出身で、60年代後半のサンフランシスコでヒッピー文化の洗礼を受け、ハワイに移住。ワイキキの浜辺の観光の目玉、今はなきコダック・フラダンス・ショーの花形ダンサーでならしたというボヘミアン・レディだ。 彼女は今、ホノカア・トレーディング・ポストというアンティークのお店をやっているのだが、この店に集められたコレクションはさながらハワイの歴史を語ってくれる博物館のよう。砂糖きび栽培が華やかなりし頃に繁盛したバーの看板があるかと思えば、もう日本の田舎でもお目にかかれないような古い農具やら、中国人ファミリーの残した白檀の家具や、白人宣教師ファミリーが使っていたティーセット、ヴィンテージ・アロハの決定版、パロカ・シャツ……。 このユニークな店に目をつけて、日本からのツーリスト・バスのコースに入れさせてほしいと大手旅行会社の申し出があったのはついこの間のこと。「冗談じゃないごめんだよ!」、胸にはタヒチの赤い血かよう鉄火のあねご、グレースはその場でこのおいしい提案を却下したものだ。「あたしは金儲けのためにこの店やってるんじゃないよ。このコミュニティの人たちが集まって和気あいあい、みんなアロハ・スピリットで楽しくできるスペースが提供できればそれでいいのよ」。 そういえば、オアフ島、ハレイワの町のワイフル河のそばにも、そんな昔話が聴けるお店があった。古いウエスタン調の赤い板張りの店のショーウィンドーには、フラの腰みのに飾られた古いミシンと、その上には招き猫という、なんともシュールなデコレーション。ウーム、ここは一体なんの店であろうかと、そのH・ミウラ・ストアの中に入ってみた。すると中にはアロハやゆかた、さまざまなプリントの反物。 そこは1926年創業という長い歴史を持つ町の仕立て屋さんだったのだ。いや、それだけではない、花火にめんこに蚊取り線香という郷愁をそそる品々もある。 「あら、もともとよろず屋だから昔から何でも作って売っていたんですよ。その蚊取り線香も家で作ったの、よく効くよ。納屋の馬が病気になったら大変って一晩閉め切って、その線香たいてやってね、朝になったら泡吹いて倒れてたんだから、アハハハハハ!」 陽気に話しかけてくれたのは、店の三代目のオーナー、ジェーンさん。どっしり重いアルバムをめくりながら、1902年に山口県からやってきた一世、ヒサキチさんに始まる家族史をひもといてくれた。 入植後まもなくプランテーション仕事に見切りをつけ、馬車でタクシーを始め、その一方で独学でマスターしたハワイ語で法廷の通訳もやったという努力の人、ヒサキチ氏。よろず屋から家族の女性陣を中心に農園のワークシャツを作り、仕立て屋部門も拡大。ところが商売が軌道に乗った頃、有志で資金を募ってもくろんだ日本からのお米の輸入計画が船の浸水によって大破綻。 そして店と借金を引き継いだジェーンさんの母親を待ち受けていたのはもっとハード・ライフ。八人の子供をもうけながら離婚。それでも子供たちを育て、歯をくいしばって借金を返済したというからなんとも立派。頑張ってきたお母さんが倒れた時、躊躇するお姉さんたちを尻目に店の後継者になることを決意したジェーンさん。電話会社から借りていた土地の権利も手に入れた。息子のスティーヴ氏が次のバトン・タッチを約束し、彼のアイデアで店の一部を改造して始めたシェイヴ・アイス屋も、他の店とはひと味違い、週末になるとタウンからわざわざ駆けつけるファンもいるほどの繁盛。 早速、リヒモイという中国系移民がハワイにもちこんだ乾燥梅干しをトッピングしたアイスをごちそうになったが、いやあ、うまかったっす。 アロハ・スピリットを味わいたかったらミウラ・ストアのリヒモイ・シェイヴ・アイスですよ! 叔母さん、姉妹、創業時からつとめる梅干し顔のバアちゃんたち、一家の女性たちが丹念に仕立てるスイミング・ショーツは、昔から地元ノースショア・サーファーたちの愛用の品。店を訪れる人々に心からのサービスを忘れないスイート・ジェーン。これまでノースショアにやってきたたくさんの日本人サーファーが彼女のお世話になり、ハレイワのお母さんとして慕われているのだ。 灯籠流し、家紋、羽二重??彼女と話していると忘れかけていた日本語がポンポンと飛び出してくる。「女の子ばっかりにカモーンなんて言ってるだけじゃだめよ。家紋はファミリーの歴史のシンボルよ。知らないなんて恥ずかしいわよ!」なんてお説教までしていただいた。トホホホホ……。 落ちこんでいると、「そういえば、今日はグレッグ・ノールの還暦のお祝いがあるの。あなたも来なさいよ」と今度はカモーン、赤いちゃんちゃんこを届けるからとお誘いをいただいた。こんなユーモアとチャーム、オープンなハートを持ったおばあちゃんと会えるから、ハワイは楽しいのだ。グレッグ・ノールといえばあのビッグボードを持って立つ姿が映画『ビッグ・ウエンズデー』のポスターにも使われた伝説の名サーファー。おかげでその夕方、ジェーンさんの作った赤いちゃんちゃんこを着て、ノースショアの波をライドする彼の姿を見ることができた。 みんなハワイの元気で陽気なジイちゃん、バアちゃんたちに負けぬよう、楽しい良き夏を!なのだ、ちゃん、ちゃん……。2005 August / MUROKEN
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