最近は“アロハイサイ”という言葉もあるほど、同じような弾圧と再生の歴史のサイクルを通過してきたハワイと沖縄というふたつの似た島。そのふたつの島を結ぶアイランド・ミュージックの絆、なんてことを考えていたら、なんだか無性にイズのことを思い出し、ミュージック・ストアの店頭に飾られていた彼、イズラエル・カマカヴィオレのDVDを買ってしまった。コニシキも真っ青の巨大な体と、その体とは似ても似つかぬ天使のようなスピリチュアル・ボイスで生涯、ハワイ人の誇りと希望、怒りや愛を歌い続けて、老若男女の違いなく数多くの島人たちに共感を与えたイズ。 その彼が他界した時は州葬になったほど、アイランド・ソウルの体現者としての彼の人気は本当に他に類をみないものだった。ACT LOCALLY,SING GLOBALLYという彼の一生をドキュメントした『IZ/THE MAN BEHIND THE MUSIC』とそのベスト・パフォーマンスを集めた『IZ/ISLAND MUSIC ISLAND HEARTS』、この二本のDVDもヨー・チェック、トゥー!なのだ。 冷え込む演歌界を救ったのが氷川きよしなら、地元の人々にも忘れかけられていたハワイ音楽を救ったのがイズ、とでも覚えておいてもらおうか。相撲レスラーへの道も蹴飛ばして“アロハ節だよ、人生は”の道をつらぬいた、最高に素敵なデブッチョ野郎がいたのだってことぐらい何度もハワイ訪れる人は覚えておいてほしいものだ。 ああ、彼の歌う「花」や「涙そうそう」聴きたかったな……。きっとケアリのようなうすっぺらロマンチックな歌詞でなくて、もっと元の詞に近いソウルフルな詩で歌って、もっとたくさんの人が聴いていただろうに……。そしたら僕も“ハワイ音楽と沖縄音楽の関係はナ〜ンダ?”“そうそう!”なんてやって……うう、寒いか……。
今回のハワイ島ボヘミアン・ツアーで僕が最後の日に訪ねたのは、コナ・サイドの丘の家でコーヒー園を営むジェシー・コリン・ヤングの所だった。 “えっ!ジェシー…”とここで喉に言葉をつまらせる人がいたら、その人は60年代終わりのアメリカの若者たちの反戦運動の聖歌になった彼のバンド。ヤングブラッズの「ゲット・トゥゲザー」や、その後の彼の『ソング・フォー・ジュリー』などのソロ・アルバムを聴いて心うたれた人に違いない。何年か前に北カリフォルニアの山奥の家を山火事で失い、ハワイ に移住してきた彼。 「最初はさすがに元気も出なかったけど、昔のバンドの仲間、ケニー・ロギンズやニール・ヤング、この島に住む歌仲間たちに励ましをもらってね、また歌い始めたんだよ」そう言って手渡されたのは『LIVING IN PARADISE』という彼の新作アルバムとMORNING SUNとロゴの入ったコーヒー豆の袋。うれしくなって早速CDのライナーノートをめくってみれば“人は愛と恐れの間で揺れる。でも選び続けよう、愛を!だって恐れを選べばその先にあるのは死だけなんだから”とこの間のふりかかった不運な事件やあの9・11事件を真摯に見つめてきた詩人ならではの言葉。 その言葉どおり、今年の初めにはあのインド洋津波の被災者救援のためのコンサートに立ち上がり、何万ドルもの救済金を集めたという。かつて“カリフォルニアの声”と呼ばれ、日本でも大きな人気を呼んだ社会派シンガーは健在だった。「このハワイって島はありとあらゆる人種の人々が集まって、どうやったらみんなが仲良く平和に共存していけるかを毎日の暮らしの中で考え、その理想に向かって少しずつだけど前進していってる感じさ。それがアロハ・スピリットなんだ」。 プレスリーの「好きにならずにいられない」から「イマジン」「ホワッツ・ゴーイン・オン」それに前述のイズの「ハワイ78」まで、いかにもジェシーらしいアロハ・スピリットあふれた“ハワイアン・アルバム”を居間で聴かせてもらっていると、いれたてのコーヒーを運んできてくれた彼。 コーヒー・カップでの乾杯の言葉は日本語で「カンパーイ、モット、ヘイワ、クダサイ!」その顔は相変わらずライト・シャインだったのだ。
紹介したハワイアン・アルバムで少しでもKEEP OUR DREAMS OF PARADISE ALIVE !そうしてもらえれば嬉しいのだ。